植木さんの死後、三重県総合博物館『植木等と昭和の時代』や東洋大学での生誕90周年展示会などが開催。最後の付き人・藤元康史さんからは様々な話を伺った。
その中で誠に遺憾に思ったのは、植木さんが国民栄誉賞の候補者に上がりながら、父親・植木徹誠さんの過去の行状(投獄経験)が災いし、実現に至らなかったことである。
部落解放運動に関わった経験や、戦時中に戦争反対の信念を貫いたことは、植木等唯一の著『夢を食いつづけた男』(筑摩書房)に詳しいが、徹誠さんの行いは、今なら「ノーベル平和賞」もの。そして、言うべきことは言い、信念を貫き通すその姿勢は、「責任を持って無責任男を演じた」息子・植木等にしっかりと引き継がれている。
筆者との対談で小松政夫さんは、「植木等の語り部」になることを宣言された。残念ながら小松さんはその年12月に亡くなり、それは続けられることなく今に至る。『今だから!植木等』に続いて、この度こうした原稿を発表させていただいたことで、少しでもそのご遺志を継いだことになれば嬉しく思う。
ご逝去の日の夜、手を合わせに行かせていただいた植木邸跡地には、今や五軒もの家々が建ち並んでいる。
※1 自宅でパーティーを催す際には、ゲストにクローゼットからスーツを一着ずつプレゼントしていたという(斎藤誠氏談)。
※2こうした事例は、中村雅俊が自宅にまで赴き『夜逃げ屋本舗』出演を依頼したときにも発生。これはヤクザの親分役だったようだから、断られて当然か。
※3 71年発売の本アルバムには、もはやクレージーソングとは言えない「大人の歌謡曲」ばかりが収録。聴けば、植木さんが本当に歌いたかったのは、こうした楽曲だったのではないかと思えてくる。
※4 舞台の『王将』で大阪弁を喋るにあたっては、イントネーションを音符にして習得したという。
※5 ご本人の言によれば、意識したのはフランク・シナトラとのこと。
※6 このとき、ついでにうかがった「平泳ぎスタイルの振り付けを上手くこなす秘訣は?」への答えは、「滑りやすい靴を履きなさい」であった。
※7 楽屋では谷啓さんとの再会を喜ぶ中、大瀧詠一さんとも言葉を交わした。自主映画『刑事あいうえ音頭』について「ああいうことをしてはいけませんな」と苦言を呈された大瀧さんは、思ったとおりの人だった。
高田 雅彦(たかだ まさひこ)
1955年1月、山形市生まれ。生家が東宝映画封切館の株主だったことから、幼少時より東宝作品に親しむ。黒澤映画、クレージー映画、特撮作品には特に熱中。三船敏郎と植木等、ゴジラが三大アイドルとなる。東宝撮影所が近いという理由で選んだ成城大卒業後は、成城学園に勤務。ライフワークとして、東宝を中心とした日本映画研究を続ける。現在は、成城近辺の「ロケ地巡りツアー」講師や映画講座、映画文筆を中心に活動、クレージー・ソングの再現に注力するバンドマンでもある。著書に『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『七人の侍 ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)、近著として『今だから! 植木等』(同2022年1月刊)がある。












