紅白歌合戦での46回の紅組最多出場を誇り、さらに前進し続ける現役女性演歌歌手のトップランナー 石川さゆり「能登半島」
「津軽海峡・冬景色」に次ぐ旅情三部作の一曲
第20回日本レコード大賞で金賞ノミネート曲、亡き大橋純子「たそがれマイ・ラブ」は明治の文豪、森鷗外の小説『舞姫』から生まれた
1978年、TBSの3時間ドラマの主題歌だった
リリースから50年、今なお心に響く名曲「五番街のマリーへ」(ペドロ&カプリシャス=髙橋真梨子)を歌いながらN.Y駐在の男たちは泣いていた
作詞・阿久悠、作曲・都倉俊一コンビによる名曲
東宝青春映画で野性的な風貌と男くささという魅力を放った 俳優・黒沢年男
第4期オール東宝ニュースターとして入社
〝ルリ子ブーム〟が巻き起こった1969年、「愛するって耐えることなの」も流行語になった大ヒット曲 浅丘ルリ子「愛の化石」
井上梅次監督に浅丘ルリ子と命名された昭和のスター
稀代の作詞家・阿久悠が岩崎宏美「思秋期」のレコーディングで見せた涙
77年9月5日リリースシングル11曲目
ボニージャックスの「ちいさい秋みつけた」、こんな童謡を聴いて育った昭和の子どもたちは幸せだ
作詞:サトウハチロー、作曲:中田喜直
小柳ルミ子、天地真理と共に〝新三人娘〟と呼ばれ、〝世代的共感を歌うアーティストの始まり〟とも評価された〝ソニーのシンシア” 南沙織「色づく街」
作詞・有馬三恵子、作曲&編曲・筒美京平コンビ
西城秀樹の“ブーメラン”ファンも泣いた、出棺とともに流れた「ブルースカイ ブルー」
作詞・阿久悠、作曲&編曲・馬飼野康二
昭和の幸せな音楽シーンに欠かせない存在だった[ダークダックス]の人生の応援歌「銀色の道」
慶應義塾大学合唱団・ワグネルソサエティ出身の4人組
「季節の中で」に続き「ザ・ベストテン」に2度目の生出演した1981年の大ヒット曲 松山千春「長い夜」
オリコン・シングルチャートで1位獲得
桑田佳祐作詞・作曲「私はピアノ」を歌った高田みづえは、数多のアイドル歌手の中でも群を抜く歌唱力だった
「君こそスターだ!」出身、1977年デビュー
宇多田ヒカルの母、藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」は、70年安保の騒乱の中で若者たちの挫折感を救った魂の歌
昭和45年の歌謡界は、藤圭子色に。
昭和、平成、令和と時を超えて高校球児たちへの永遠の応援曲となったアニソン 岩崎良美「タッチ」
デビュー6年目、20枚目のシングル
昭和の日曜日の午後6時、忘れられないNHK[レッツゴーヤング]と[狩人]の「あずさ2号」に続くわが故郷が舞台のヒット曲「コスモス街道」
夭折の詩人・立原道造の「夏の旅」の一節がサビに!
第12回 チケットを売るのではない、映画を売るのだ
文=多田憲之
布施明の「霧の摩周湖」がリリースされたのは、われら団塊高校生が修学旅行で摩周湖を訪れた昭和41年だった
「布施くんは海より、湖だ」の平尾昌晃のひとこと
長崎へのレクイエムのように響いた詩人・さだまさしの豊かな詩情 グレープ「精霊流し」
74年日本レコード大賞作詞賞も受賞
小林麻美、夏目雅子、服部まこらが躍り出た大手化粧品会社のCM合戦の中で、ひときわ美しく響いたサーカスの「Mr.サマータイム」のハーモニー
フランスの楽曲を竜真知子が日本語訳、前田憲男が編曲















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