わが昭和歌謡はドーナツ盤

「そうだ京都に行こう」と聴く者を京都の旅へといざなってくれる京都歌謡のきわめつけと言えば、ベンチャーズ作曲による和風情緒あふれる大ヒット曲 渚 ゆう子「京都慕情」

 「京都慕情」はザ・ベンチャーズのインストゥルメンタル曲で、「京都の恋」に続いて1970年11月25日にベンチャーズの「京都シリーズ」第2弾としてシングル・リリースされ、同年12月1日に渚ゆう子がカバーし、シングルとして東芝音楽工業(現・ユニバーサル ミュージック合同会社)からリリースされた。プロデュースしたのは、坂本九の「上を向いて歩こう」をはじめ、多くの歌手、ヒット曲を生み出した草野浩二さんだった。オリコン・シングル・チャートで2位となる大ヒットとなった。外国人が作ったとは思えないほど日本情緒あふれる、京都の情景を思い描かせてくれる日本人の心に響く楽曲だった。渚ゆう子は、本作で71年のNHK紅白歌合戦に初出場を果たし、舞妓姿で歌唱した。

 渚ゆう子の名前が歌謡界で知られるようになったのは、前作のやはりザ・ベンチャーズが70年開催の日本万国博覧会を記念して製作したインストゥルメンタル曲をカバーし、70年5月25日にシングル・リリースした「京都の恋」の大ヒットによる。発売されるやオリコン・シングル・チャートで8週連続1位を獲得し、年間チャートでも10位となる、渚ゆう子の最大のヒット曲となった。「京都の恋」「京都慕情」共に作詞は欧陽菲菲の「雨の御堂筋」、チェリッシュの「ひまわりの小径」、テレビアニメ「サザエさん」の主題歌で知られる林春生が手がけている。別れのつらさに心をしめつけられる女性の切ない胸の内が、黄昏の河原町、夕焼けの高瀬川、燃えてる嵐山、夕闇の東山に桂川の風景に託される。

 日本歌謡界ではある時期ザ・ベンチャーズ作曲の歌謡曲がヒットした時代があり、〝ベンチャーズ歌謡〟と呼ばれた。仕掛人は東芝音楽工業プロデューサーの草野浩二さんである。奥村チヨの「北国の青い空」、和泉雅子と山内賢のデュエットによる「二人の銀座」、欧陽菲菲「雨の御堂筋」、そして「京都の恋」「京都慕情」。70年の日本レコード大賞では、東芝音楽工業は企画賞を受賞している。

 渚ゆう子は71年には林春生作詞、筒美京平作・編曲のコンビで「さいはて慕情」をリリースし、オリコン・シングル・チャートでは6位を獲得、日本レコード大賞歌唱賞を、「よこはまたそがれ」の五木ひろし、「知床旅情」の加藤登紀子らと受賞している。続く橋本淳作詞、筒美京平作・編曲の「雨の日のブルース」もオリコン・チャート8位のヒットとなり、71年から72年に放送された銭湯が舞台の人気テレビドラマ「時間ですよ」の第2シリーズで、森光子と樹木希林(当時・悠木千帆)が、茶の間でおしゃべりしながら2人でチャンチャンチャンチャ チャチャンチャチャンチャ(タンタンと2拍おいて)チャチャンチャンと、筒美京平がストリングスや、トランペット、トロンボーン、サックスのホーンセクションで編曲したイントロを鼻歌でリズムをとって口ずさんでいたことからも、この曲が広く親しまれていたことがわかる。森光子は、茶の間を出ていくときにも、再びイントロを口ずさみながら身体でリズムを刻んでもいた。72年の紅白にも2年連続となる出場を果たし、筒美京平作曲の「風の日のバラード」を歌唱した。

 欧陽菲菲もベンチャーズ作曲の「雨の御堂筋」で歌謡界にデビューし、大ヒットをとばした後、2曲目からは筒美京平作曲の楽曲が続く。「雨のエアポート」「夜汽車」「恋の十字路」とヒットを連発した。渚ゆう子のプロデュースパターンと似ているような気がする。デビューの勢いを筒美京平作品でフォローアップするという草野浩二さんの手腕により、見事に成功したと言えよう。

文=渋村 徹

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