私を映画に連れてって

第33回【私を映画に連れてって!】永遠のゴジ「唯一無二の監督死す」追悼:長谷川和彦監督

「連合赤軍」だけでなく「吉里吉里人」「オウム企画」「少年A企画」「沖縄脱走兵企画」そして「ループ」まで、ぼくだけでも10前後の企画や脚本が手元に残ってしまった。

 ディレクターズ・カンパニーは2本の傑作を創ったゴジさんが、若手監督の未来も考えて設立した(1982設立~1992倒産)。石井岳龍、井筒和幸、池田敏春、大森一樹、黒沢清、相米慎二、高橋伴明、根岸吉太郎、そして長谷川和彦監督。ゴジさん以外は、皆、ディレクターズ・カンパニーで作品を創った。10年間でゴジさんだけが作品を残せなかった。

 そのあとを託されるような形になったぼくも新作映画に届かなかった。痛恨の極みである。

 たった2本。されど2本の傑作映画。ぼくにとっての目標とも言える映画であることは今も変わりない。この2本の映画、或いは、ゴジさんとの出会いが無ければ、『スワロウテイル』も『ヤンヤン夏の想い出』も創れなかっただろう。

 それはゴジさんからもらった「映画の勇気」だと思う。「映画」に向き合うこと。「映画」という個人の表現。そして「映画」の役割。

 新作映画は実現化しなかったが、ゴジさんのお陰、或いは影響を受けて映画活動をしている人は何十人、何百人といるであろう。

 さらばゴジさん……でも心の中のゴジは永遠です。浄土から、また「お前は、このシーンどう思うんだ!」との声が聞こえて来ます。

▲本年1月31日に80年の生涯に幕をおろした長谷川和彦監督。「連合赤軍」は死の間際まで構想を練り続けていた映画企画だった。監督作品『太陽を盗んだ男』を見直すたびに、ラジオの深夜放送「パックインミュージック」で、この映画を激賞していた2002年に亡くなったTBSアナウンサー・林美雄の声が聞こえてくる。映画作品だけでなく、映画を愛するが故の映画人たちとの飲み屋での数々の武勇伝などのエピソードを残す長谷川和彦監督。そこから、自身の仕事に命を賭して向き合い、誇りを持って取り組み、そして映画を心から愛している姿が浮かび上がる。生涯2本の映画で、永遠に語り継がれる映画監督だ。「昭和は遠くなりにけり」の心境である。



かわい しんや
1981年慶應義塾大学法学部卒業後、フジテレビジョンに入社。『南極物語』で製作デスク。『チ・ン・ピ・ラ』などで製作補。1987年、『私をスキーに連れてって』でプロデューサーデビューし、ホイチョイムービー3部作をプロデュースする。1987年12月に邦画と洋画を交互に公開する劇場「シネスイッチ銀座」を設立する。『木村家の人びと』(1988)をスタートに7本の邦画の製作と『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)などの単館ヒット作を送り出す。また、自らの入院体験談を映画化した『病院へ行こう』(1990)『病は気から〜病院へ行こう2』(1992)を製作。岩井俊二監督の長編デビュー映画『Love Letter』(1995)から『スワロウテイル』(1996)などをプロデュースする。『リング』『らせん』(1998)などのメジャー作品から、カンヌ国際映画祭コンペティション監督賞を受賞したエドワード・ヤン監督の『ヤンヤン 夏の想い出』(2000)、短編プロジェクトの『Jam Films』(2002)シリーズをはじめ、数多くの映画を手がける。他に、ベルリン映画祭カリガリ賞・国際批評家連盟賞を受賞した『愛のむきだし』(2009)、ドキュメンタリー映画『SOUL RED 松田優作』(2009)、などがある。2002年より「函館港イルミナシオン映画祭シナリオ大賞」の審査員。2012年「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」長編部門審査委員長、2018年より「AIYFF アジア国際青少年映画祭」(韓国・中国・日本)の審査員、芸術監督などを務めている。また、武蔵野美術大学造形構想学部映像学科で客員教授を務めている。

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