ムード歌謡を流行らせたのは、たとえば、〈和田弘とマヒナスターズ〉がきっかけでグループコーラスが盛んになったから。スチールギターの弾みがハワイアンのようで新しい流行歌として人気を得た。「ウナセラ・ディ東京」、「誰よりも君を愛す」など相次いでヒット曲を世に送っていた。〈ロス・インディオス〉の「コモエスタ赤坂」、「知りすぎたのね」なども大ヒット曲となったし、〈黒沢明とロス・プリモス〉は「ラブユー東京」、「たそがれの銀座」も競っていた。〈鶴岡雅義と東京ロマンチカ〉「小樽のひとよ」、〈内山田洋とクールファイブ〉は「長崎は今日も雨だった」と1950~1960年代後半は、ムードコーラスによる流行歌で沸いた。ずっと後で知ったことだが、ソロで歌った「雨の夜あなたは帰る」はそのムード歌謡のジャンルだった。大人のちょっと妖しい男女関係を連想させエロティックな音楽に思えて、好奇心旺盛な十代ゆえに記憶に残ったのだろうか。
戦後の焦土から立ち上がって経済復興を遂げて間もなくの好景気が男女交際を大らかにした時代だった。まさに時代の空気が生んだのがムード歌謡だったのだろう。大人の男女の出会いの社交場となったナイトクラブやサパークラブが隆盛した。酒場が劇場化し、フルバンドが演奏した。中央のステージは男女が抱き合ってダンスを踊るステージと化していた。カラオケ誕生前夜の光景だ。石原裕次郎と浅丘ルリ子が共演した映画『銀座の恋の物語』はじめ、ナイトクラブなど夜の社交場は映画の舞台にもなって数々のシーンが生まれている。
ジャズのバラードのように甘く切なくむせび泣くようにサックスが唸り、ジャジーなピアノ演奏も特徴だった。男女のデュエット曲も数多く存在した。声高に歌い上げるのではなく吐息を吐くような歌唱、ロマンティックな歌詞とメロディー、都会的な雰囲気や大人の恋愛をテーマにした歌詞が多かった。明らかに、これまでの演歌(厭歌や怨歌)とは違って、コーラスも洗練されて詞は都会の男女の恋愛風景が多く、垢抜けた感じがあった。
さて、ムード歌謡をソロで売り出した島和彦の「雨の夜あなたは帰る」が、実は船村徹の作曲だと知って少なからず驚かされた。〝船村メロディー〟といえば地方が舞台だったり望郷がテーマだったり土臭い歌謡曲というイメージを抱いていた。ゆえに長い間日本人の心の琴線に触れる名曲を生んできたと思っていた。その船村が、都会の男女の恋愛風景を哀愁溢れんばかりに作曲したのだ。
~別れた男を待ち侘び、雨の夜に帰りを待つ女、濡れたカルダンコートを着て、なんでもないように、帰ってくると、いつも信じて、帰りを待っている。しばらく一緒に住んでいたのに、忽然といなくなったあなた、カルダンコートを羽織って、雨の夜になると帰ってくるはず~
何とも切ない女の恋の歌、すがり付いたら離さないわ、という激しい女の情念、道ならぬ恋を切り捨てられず、冷たい雨が降る晩にひとり男の帰りを待つ女。ムード歌謡の真骨頂のような詞と船村徹の曲によって、情景鮮やかだ。
蛇足だが、NHK紅白歌合戦で歌唱する際、〈カルダンコート〉はブランド名につき歌うのはまかりならん、と〈トレンチコート〉と歌詞を変えて歌ったという笑い話がある。船村徹による情緒豊かなメロディーと、島和彦の低く甘い歌声が絶妙にマッチし、当時の「ムード歌謡」ブームを象徴する一曲となった。一発屋が残した名曲である。1944年生まれの島和彦さんは81歳、東京・赤坂で「サパークラブ島」を経営し、時にステージに立ってギターを抱えて歌っていると伝えられている。
文=村澤次郎 イラスト=山﨑杉夫












