デビュー二作目『天下泰平』(55)での初顔合わせ以来、司と三船は東宝を代表する俳優同士として、ずっと成城に住み続けた仲である。好んで俳優になったわけではない(最初の一本でやめるつもりだった、すなわち「欲がない」)という点でも、二人には共通性がある(※2)。
2003年、世田谷文学館で『世田谷フィルムフェスティバル 映画俳優三船敏郎』が開催。そのトークイベントで司は、三船の長男・史郎氏を前に「東宝の仲間たちがいかに仲が良かったか」を切々と語った(※3)。
12年後、世田谷美術館「東宝スタジオ展」(15)に集った元東宝俳優たちの和気藹々の様子を見たときは、その言葉に心から納得したものだが、やはり三船との絆は特別なものがあったに違いない。
最後は司も出演し、主演の仲代達矢と衝突(※4)した三船がロケ地の青森から単身帰京、即降板したことで知られる『御用金』(69/五社英雄監督)の話。この一件については後年、仲代の口からいろいろ語られているが、筆者には「三船さんは可哀そうだった」という司の言葉がすべてのように思えてならない。
小林正樹監督の「中抜き」をしない撮影手法に辛酸を舐めた『上意討ち 拝領妻始末』(67)でも、共演者として三船の苦労を目の当たりにした司。彼女ほど、三船の鬱屈の深さを知る女優はいない。
※1 ランクインは東宝女優でただ一人。1956年当時の主たる東宝契約女優は江利チエミ、白川由美、原節子、八千草薫、山口淑子、雪村いづみなどだが、チエミといづみは他社出演も多かった。
※2 そういう意味では池部良と加山雄三も同じタイプと言えよう。
※3 誰からも「三船ちゃん」と呼び称されたことはよく語られるエピソード。付き人など置かない東宝の文化は三船を見習ってのものとされる。
※4 三船と仲代の諍いの現場に居合わせたのは浅丘ルリ子だという。

高田 雅彦(たかだ まさひこ)
1955年1月、山形市生まれ。生家が東宝映画封切館の株主だったことから、幼少時より東宝作品に親しむ。黒澤映画、クレージー映画、特撮作品には特に熱中。三船敏郎と植木等、ゴジラが三大アイドルとなる。東宝撮影所が近いという理由で選んだ成城大卒業後は、成城学園に勤務。ライフワークとして、東宝を中心とした日本映画研究を続ける。現在は、成城近辺の「ロケ地巡りツアー」講師や映画講座、映画文筆を中心に活動、クレージー・ソングの再現に注力するバンドマンでもある。著書に『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『七人の侍 ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)、近著として『今だから! 植木等』(同2022年1月刊)がある。












