1990年代のアメリカのTVシリーズ「ツイン・ピークス」(デビッド・リンチ監督)と映画『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間』(同監督/1992)なら、「ドラマシリーズ」と「映画」の明確な別れ目が存在していたが、配信時代になりその境界は作品としてはほぼ無くなってしまったように思う。
今回、NetflixがWBC独占中継権を獲得したり、ワーナーブラザーズの買収に動いたのも、Netflix独自(独占)の作品、番組が増えることが、有料会員の満足度を高め、かつ新規の加入を求めることは当然のことと言えるだろう。
ただ、ぼくも映画の作り手の一人として日々、考えざるを得ない。
劇場映画製作側から言えば、地上波の登場、ビデオレンタル、有料衛星放送……と時代とともに共存できるのか否かを考えながらやってきた歴史がある。ここまでは、上手く折り合いをつけてやってきたと言える。
ただ、地上波を見るより、YouTubeに使う時間の方が多くなった今、溢れるように「コンテンツ」がスマホから流れ出ている。
映画は「コンテンツ」の一部なのか……。それとも、やはり演劇やコンサートLIVEのように多くの観客とともに楽しむものなのか……。
映画人の矜持はあまり変わっていないように思うこともある。ぼくも最初は35ミリフィルムで撮るのが映画だ、でスタートしたので映画もテレビも同じHDカメラで撮るようになった時に、少し意識改革はあったように思う。
残された、映画人としての「矜持」……テレビ局にいた人間としては「テレビはテレビらしく」、「映画は映画らしく」というマインドは変わってないのだが……。
やはり、Netflixを含めて共存を模索し続けるしかないように思う。
それは、まだまだ映画館で映画を観たいと思ってくれている多くの観客が世界中に存在する限り、創り続けたいからである。
かわい しんや
1981年慶應義塾大学法学部卒業後、フジテレビジョンに入社。『南極物語』で製作デスク。『チ・ン・ピ・ラ』などで製作補。1987年、『私をスキーに連れてって』でプロデューサーデビューし、ホイチョイムービー3部作をプロデュースする。1987年12月に邦画と洋画を交互に公開する劇場「シネスイッチ銀座」を設立する。『木村家の人びと』(1988)をスタートに7本の邦画の製作と『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)などの単館ヒット作を送り出す。また、自らの入院体験談を映画化した『病院へ行こう』(1990)『病は気から〜病院へ行こう2』(1992)を製作。岩井俊二監督の長編デビュー映画『Love Letter』(1995)から『スワロウテイル』(1996)などをプロデュースする。『リング』『らせん』(1998)などのメジャー作品から、カンヌ国際映画祭コンペティション監督賞を受賞したエドワード・ヤン監督の『ヤンヤン 夏の想い出』(2000)、短編プロジェクトの『Jam Films』(2002)シリーズをはじめ、数多くの映画を手がける。他に、ベルリン映画祭カリガリ賞・国際批評家連盟賞を受賞した『愛のむきだし』(2009)、ドキュメンタリー映画『SOUL RED 松田優作』(2009)、などがある。2002年より「函館港イルミナシオン映画祭シナリオ大賞」の審査員。2012年「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」長編部門審査委員長、2018年より「AIYFF アジア国際青少年映画祭」(韓国・中国・日本)の審査員、芸術監督などを務めている。また、武蔵野美術大学造形構想学部映像学科で客員教授を務めている。