1971年に天地真理が、早稲田大学の「早稲田祭」に出演したことに始まり、人気の女性歌手の登場が学園祭のハイライトになった。80年代になると引く手あまたの彼女たちは「学園祭の女王」と呼ばれ、白井貴子、山下久美子をさきがけに、多くの「学園祭の女王」が誕生した。そのなかの一人、杏里もある年は、20を超える学園祭に出演し、絶大な人気を集めた。筆者の通った大学にも11月の学園祭に杏里が来てくれて、校内で一番大きな通称「100番」教室で杏里の歌を初めて生で聴いたことは忘れられない思い出だ。
スラっと伸びた足にまず目が行き、都会的なファッションと爽やかな杏里に見惚れた。そんな第一印象から、筆者のなかではカッコいいアーティストの筆頭となった。2010年後半からは、欧米を中心とした海外でのジャパニーズ・シティポップ・ブームによって、杏里はシティ・ポップのクイーンといわれている。時を重ねてもその抜群の音楽センスと独自のライフスタイルは、魅力的で一目置かれる存在である。
そのルーツを辿ると、幼少の頃からピアノを習い、兄たちの影響でモール・モーリアなどの洋楽が身近にあったという。夢見る少女は、次第にアメリカのカルチャーに憧れが膨らんでいった。当時家族ぐるみで懇意にしていたテレビ局のプロデューサーが杏里の歌を聴いたことからレコード会社を紹介され、スタジオで歌うことになる。言ってみればそれがオーディションだったのだろう。トントン拍子にデビューの話が進んでいった。
杏里の雰囲気に合わせた制作方針から、16歳の夏休みにロサンゼルスでアルバムのレコーディングが行われ、1978年11月5日フォーライフ・レコードから「オリビアを聴きながら」でデビューした。ドーナツ盤のジャケット写真は、まだあどけなさが残る17歳の杏里である。
作詞作曲は、シンガーソングライターの尾崎亜美。編曲は瀬尾一三である。1976年に「瞑想」で歌手デビューした尾崎にとっては、南沙織に提供した「春の予感─I‘ve been mellow」に次いで2曲目である。「春の予感」は、資生堂のキャンペーン・ソングにも採用され、南にとってはアイドルからイメージチェンジを遂げる代表曲になった。
尾崎は、提供する歌手の個性を最大限活かす能力に卓越しているアーティストだ。杏里の楽曲を担当することになった尾崎は、杏里と直接話をして「オリビア・ニュートン=ジョン」が好きという会話から、本曲ができあがった。
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